坂本悠花里監督の長編デビュー作である映画『白の花実』(しろのかじつ)は、国内外の映画祭で高い評価と熱い喝采を浴びた注目作。
本作は、監督が『21世紀の女の子』の一篇「reborn」や、中編「レイのために」、短編「木が呼んでいる」などで培ってきた映像の才能を鮮烈に刻みつけた作品だ。
特に、第73回サン・セバスティアン国際映画祭のNew Directors部門ではクロージング作品として上映され、海外で大きな注目を集めた。
また、第38回東京国際映画祭ではNippon Cinema Now部門に公式出品され、10月30日(木)には美絽と坂本監督が登壇するアジアン・プレミア上映前舞台挨拶が実施された。
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©2025 BITTERS END/CHIAROSCURO
【あらすじ】
周囲に馴染めず、転校を繰り返す杏菜が、新たな寄宿学校で出会ったのは、美しく完璧な少女・莉花。 しかし、莉花は突然、屋上から飛び降りて命を絶ってしまう。
残されたのは一冊の≪日記≫。
ページをめくるたび、莉花の苦悩や怒り、痛み—— そして、言葉にできなかった“ある秘密”が浮かび上がる。
その秘密に触れた杏菜と少女たちの心は揺さぶられ、初めて“自分”と向き合い始める。
やがて日記から青白く揺れる“鬼火”のような魂が現れ、杏菜の心に静かに入り込む。
その魂に導かれ、杏菜は予想もつかない行動へと踏み出す——。
観る者は知らず知らずのうちに、その奇妙で美しい世界へと引き込まれていく。(HPより)
【作品概要】
美絽 池端杏慈 蒼戸虹子
河井青葉 岩瀬亮 山村崇子 永野宗典 田中佐季
伊藤歩 吉原光夫 / 門脇麦
監督·脚本·編集:坂本悠花里
プロデューサー:山本晃久
製作·配給:ビターズ・エンド
制作プロダクション:キアロスクロ
英題: White Flowers and Fruits
2025年/日本/カラー/DCP/5.1ch/ビスタ/110分
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【奇妙で美しいファントム・ファンタジー】
本作は、思春期の少女たちが“死の向こう側”へとそっと踏み込んでいく、奇妙で美しい季節を描いた作品と言えるだろう。
物語は、周囲に馴染めず転校を繰り返す主人公・杏菜(美絽)が、森の奥にある寄宿学校(女子校)で、美しく完璧な同室の少女・莉花(蒼戸虹子)に出会うところから始まる。
杏菜は周囲に対して反抗的である。それに対して莉花は「(反抗的な態度を取っているのは)疲れない?もう少し周りとうまくやる努力をしてみたら?」と優しく諭す。

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杏菜が「莉花はきれいだから、私にできないこともできるんだよ」と言うと、莉花は「ねえ、私になってみたら?」と言った。
この不思議な会話には思春期特有の、他者への憧れと励ましがよく表れている。
反抗的な杏菜が莉花にだけは素直な面を見せているのだ。
本当は杏菜も周囲とうまくやっていきたいのだろう。
【友人の死を通して成長していく】
やがて莉花は突然、屋上から飛び降りて命を絶ってしまう。
残されたのは莉花が綴っていた一冊の日記。
杏菜はその日記を読み進めるうちに、莉花の思いを自分に当てはめ、自己探求を始める。
先述の莉花の言葉「私になってみたら?」が大きな意味を持って展開していく。
物語の軸は「なぜ莉花は飛び降りたのか?」という問いにあるが、安易に答えを提示するのではなく、遺された少女たちの視点を通じて、「他人から見える自分」と「自分で思う自分」のズレや、その折り合いのつけ方を探るドラマとして深く掘り下げられている。
死んでしまった莉花を通して、もうひとりの友人、栞との交流が始まる杏菜。
最初は互いを不可解に感じていたが、莉花の死の真相を探るうちに少しずつ理解しあう。

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そして喧嘩もするが、杏菜は逃げずに栞と向き合う。
杏菜が成長していったのが分かる。
【周囲の大人も「思春期」と似た感情を抱いている】
反抗期の娘(杏菜)と母の会話がとてもリアルだ。屁理屈とも言える娘の言葉に真正面から向き合い、時に娘の冷静な指摘に対して感情的になる母という構図はこの時期特有のものだ。
他人同士であればありえない強い言葉や感情の応酬は、多くの人が共感するだろう。
そして母は「個人」として気持ちを吐露する。つぶやくようなその言葉は、母親もまだ思春期を越えている最中なのではないだろうかと思った。
他にも「大人」として登場する女性教師に注目したい。

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全寮制の教師は、生徒の家族よりも長い時間を生徒と共に過ごし、親とは別の愛情を持って接している。
彼女が、莉花の死の真相をめぐり、生前の莉花の悩みを皆に伝えるシーン。
ここにもまた「思春期を越えている最中」の大人がいるのである。
この作品は、思春期に終わりはないことを示唆する。
感情の吐き出し方が少し「大人」に見えるようになっただけで、本質的に人は常に悩みを抱えているのだという気持ちに至った。
【目の前の命に向き合うこと】
莉花はなぜ死んだのか、人はなぜ死ぬのか。

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時期は違えど、必ず誰にでも訪れる「死」と「思春期」を掛け合わせた本作品に正解はない。
ただ、もしかしたらこれが共通点だろうかというものを観る者に与える。
「儚さ」と「危うさ」である。
この二つを表現するのに、思春期に友人を失った少女たちの繊細な心の機微を描くことは非常に効果的だった。
主人公の杏菜、友人の栞も、莉花の死を通して「生きていることが当たり前と思わず、日々、目の前の命に向き合っていく」ことを体感しただろう。
それは観る者にも同じ感覚を与える。
親も子も、友人も恋人も、実は一緒にいられる時間は限られている。
与えられた時間を大切に過ごすにはどうしたらいいか。
決して「馴染まなくていい」のだが、自分に素直になって相手に向き合うことが、一つの正解なのだと教えてくれる作品だ。
少女たちの美しさを象徴するような自然美も見逃せない。
湖や森で戯れる少女たちは子どものような無垢な姿を見せている。
自然光や月明かり、白いカーテン、白い花といったモチーフが、「儚さ」と「危うさ」を浮かび上がらせ、観客の記憶に刻まれるだろう。

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12 月 26 日(金) 新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開