🆕11月28日公開!映画「兄を持ち運べるサイズに」レビュー:あなたの周りにもいる愛すべきダメ人間。

【あらすじ】

作家の理子は、突如警察から兄の急死を知らされる。兄が住んでいた東北へと向かいながら、理子は兄との苦い思い出を振り返っていた。警察署で7年ぶりに兄の元嫁・加奈子と娘の満里奈、一時的に児童相談所に保護されている良一と再会、兄を荼毘に付す。

そして、兄と息子が住んでいたゴミ屋敷と化しているアパートを片付けていた3人が目にしたのは、壁に貼られた家族写真の数々。子供時代の兄と理子が写ったもの、兄・加奈子・満里奈・良一が作った家族のもの・・・

兄の後始末をしながら悪口を言いつづける理子に、同じように迷惑をかけられたはずの加奈子はぽつりと言う。「もしかしたら、理子ちゃんには、あの人の知らないところがあるのかな」

兄の知らなかった事実に触れ、怒り、笑って、少し泣いた、もう一度、家族を想いなおす、4人のてんてこまいな4日間が始まったー。

【作品概要】

出演者:柴咲コウ

オダギリジョー 満島ひかり

青山姫乃 味元耀大

斉藤陽一郎 岩瀬亮 浦井のりひろ(男性ブランコ)足立智充 村川絵梨

不破万作 吹越満

脚本・監督:中野量太

音楽:世武裕子

原作:村井理子「兄の終い」(CEメディアハウス刊)

製作:「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会(カルチュア・エンタテインメント/TCエンタテインメント/

配給:カルチュア・パブリッシャーズ

助成:文化庁文化芸術進行費補助金(日本映画製作支援事業)|独立行政法人日本芸術文化振興会

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中野量太監督の5年ぶりの新作である映画『兄を持ち運べるサイズに

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突然、警察から電話が来て知らされた兄の訃報。

妹であり、この物語の主人公である理子は驚くほど冷静だ。

遺体確認より「今の自分の家族」との生活を優先しようとするが、「兄を持ち運べるサイズ」にするため、唯一の家族である理子は、兄の暮らしていた町を訪れる。

©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会

演じるのは柴咲コウ。淡々としながらも、自分の中に封印していた「兄」と対峙する様子を好演している。

(死んだんだもの、今更急いだって何も変わらない)と言いながら、

自分が兄にとって唯一の家族であったことを実感していく4日間。

【自分から壊したくせに】

遺品整理のため、兄の元嫁と姪と共に、兄が暮らしていた部屋を訪ねるとそこには、理子たち家族の写真と、兄が離婚した家族の写真が飾られていた。

いつも金の無心しかしてこなかった兄の「家族想い」な一面を知り、少し動揺する。

「自分から(家族を)壊したくせに…」

そして兄が書いていた履歴書を見つけると「本当に仕事を探していたんだ」という思いが湧き出る。

そこで画面に理子の気持ちがタイピングされ、柴崎の声が入る。

視覚と聴覚の両方から主人公の気持ちを伝える手法は、視聴者が物語に没入しやすい演出だ。

この後も理子に感情の動きが出る度、この手法は使われる。

4日間という短期間で主人公の中で起きた変化が、時系列で分かりやすく要点をまとめているので分かりやすかった。

この家族写真を発端に、理子は兄の「得意だったこと」を思い出すようになる。

【ダメ人間の極みを演じるオダギリジョー】

理子が兄を回想するシーンでは、まるで今も兄が存在して目の前にいるかのように映る。

想像の中として現れるのだが、生きている時の姿のようで故人の過去をイキイキと描く。

この兄を演じるのはオダギリジョーだ。

中野量太監督が「この役は彼しか思いつかなかった」というほど、ダメ兄の極みを演じている。

理子に金の無心をする。職を転々とする。嘘ばかりつく。

他にもたくさんの「ダメ兄っぷり」が露呈する。

©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会

第三者から見れば面白い兄かもしれないが、家族だったら大変だ。

しかし視聴者は思うだろう。

「いるいる、こういう人」と。

そして筆者もその一人だ。

【あなたの周りにもいる厄介な親族】

筆者には叔母がいた。オダギリジョー演じるダメ兄に似ているところが多々ある。

有名大学の教授夫人として派手な暮らしを送っていたバブル時代は全く私たち家族に連絡してこなかった。

ある日、母に一本の電話が入った。

叔母からだ。

「姉さんはね、作家になったの。それで編集者と会うのにご馳走しないわけにいかないでしょう。少し、お金を用意しなさい」(なぜか命令口調)

その留守電を聞いた私は間違い電話だと思った。

なぜなら叔母の存在は大昔の断片しかなく、祖母の葬式にも現れなかったので「消えた人」になっていたからだ。

断片はこうだ。

母と共に叔母を訪ねた時、駅で待ち合わせたら「お前たちが来るというからレストランを予約した」行った店は定休日。

その後、叔母の自宅に行って出されたイチゴは「お前たちのために新鮮なイチゴを取り寄せておいた」らしいがカビが生えていた。

嘘ばかりつく人だったから作家は天職だったのかもしれないが、

結局は空想の中に生きていた人だった。

「作家に離婚はつきものです」と教授だった叔父と離婚し、月末になると命令口調で金の催促。

とても上品な話し方で、それがかえってイラッとしたものだ。

迷惑をかけまくっていた叔母が他界した時、ゴミ屋敷を見てゾッとした。

原稿用紙が山のように積んであった。

編集者など、当然いなかった。

筆者には叔母との思い出は負の要素しかなかったので思い出すこともなかったが、この作品を見ていて思い出した。

意外とこのような「家族や親戚にいる厄介な人」に振り回されている(来た)人は多いだろうと思うのだ。

【故人というのは美化される】

閑話休題。

理子には兄を見限るだけの理由があった。

元嫁を演じる満島ひかりは兄、つまり元夫の良いところをたくさん知っていた。

©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会

それでも理子に言う。

「理子ちゃんは私の知らないあの人をいっぱい知っている」

そこから理子はだんだんと思い出していくのだった。

兄の思い出を辿ることで現れる「家族としての情」

一緒に過ごした時間の中に見つける兄の素晴らしさ。

それは死んだからこそ思い出すものであり、生きている時に呼び起こされるものではない。

死んだ人は美化されがちだが、筆者はこの作品を見て感じた。

「どんな人にも良いところはある。死んでからそれを見つけるのではなく、

生きているうちに見つけられるような人になりたい」

そうすれば、多くの人が関わる「家族の確執」は減るのではないだろうか。

この作品は、「いるいる、こういう人」に目を背けずに生きてみよう、家族の良さを見つめ直してみたいと思える作品だ。

…叔母の手書きの原稿用紙がワープロ打ちされたものがあったことを思い出した。

「お預かりした原稿をタイピングしました。ご確認ください」という紙を何枚も見つけた。

ワープロ打ちした代金の領収書もたくさんあった。

今思うと、叔母の編集者はこの「印刷屋」さんだったのだ。

理子の兄も、叔母も決して嘘をついていなかったというのが、不思議な共通点なのである。

©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会

11月28日(金)より全国公開