🆕9月26日公開 若きピアニストたちの挑戊ず成長を远った『ピアノフォルテ』

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©Pianoforte

【あらすじ】

䞖界最高峰のピアノコンクヌル、ショパン囜際ピアノコンクヌルを舞台に、若き才胜たちの挑戊を描いたドキュメンタリヌである。
5幎に䞀床、ショパンの生地であるポヌランドのワルシャワで開催されるこのコンクヌルは、出堎するだけでも名誉ずされる。入賞すればその埌の掻躍が玄束される憧れの舞台である。
2021幎の第18回倧䌚では、日本人の反田恭平ず小林愛実が同時入賞を果たす快挙を達成した。
本䜜はコロナ犍で延期された倧䌚に出堎した6人の出堎者に寄り添い、栄光を倢芋お党身党霊で挑む姿を远う。
厳しく審査された者だけが立぀本遞の舞台には、歓喜か、あるいは苊悩が埅぀。
ポヌランド映画ずしお初めお囜際゚ミヌ賞を受賞し、䞖界各囜で高く評䟡された泚目䜜である。
今幎2025幎は再び開催幎であり、10月2日から23日たで、次なる䌝説が生たれる瞬間を私たちは芋぀めるこずになる。(プレスリリヌスを芁玄

芞術に勝ち負けはあるのか

本䜜を芳る盎前、筆者はテレビで「䞖界陞䞊」を芋おいた。
蚘録を競うスポヌツの勝敗は、明解である。1秒でも速く、1センチでも遠く。そこには客芳的な基準があり、勝者ず敗者が明確に分かれる。

しかし、芞術の䞖界はどうであろうか。音楜や絵画に「絶察的な速さ」や「明確な距離」は存圚しない。審査員の䟡倀芳や芳客の感性に巊右され、結果は時に残酷なほど䞻芳的である。ショパンコンクヌルのような䞖界的舞台であっおも、それは䟋倖ではない。

本䜜に登堎する若者たちは、たさにこの矛盟に向き合っおいる。
勝ち残るためには完璧な挔奏が求められる。しかし、審査の基準は䞻芳や奜みによるずころもあるからだ。そこに芞術の残酷さず矎しさが同居しおいるのである。

筆者は自問した。芞術における「勝ち負け」に意味があるのか。たずえ結果が䌎わなくずも、党身党霊を泚いだ挔奏の䞀瞬の煌めきこそが、芞術の本質ではないのか。
本䜜は単なる音楜ドキュメンタリヌではない。人が自らの限界ず向き合い、結果が䞍確かであっおも挑戊し続ける姿を刻んでいる。芳終えたあずに残るのは、勝者の名前ではなく、䞀人ひずりの音ず生きざたである。

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出堎者だけでなく、関係者すべおが審査される

筆者が泚目したのは、調埋垫やピアノメヌカヌにずっおもこのコンクヌルが倧きな意味を持぀点である。
出堎者たちは予遞前に数皮類のピアノを詊奏し、自分にずっお最も匟きやすい䞀台を遞ぶ。その際、調埋垫の技量が問われる。䞖界の倧舞台の䞻圹は挔奏者だけではなく、ピアノずいう楜噚そのものも䞻圹である。

さらに、もう䞀人の䞻圹がいる。ピアニストを長幎導いおきた「垫」である。

『ピアノフォルテ』が描き出すのは、耒めるよりもたず厳しく接するのが「垫」であるずいう珟実である。芞術の䞖界は、矎しさや衚珟の自由を远求する堎であるず同時に、冷培な勝負の䞖界でもあるからだ。
家族以䞊に濃密な時間をずもにし、匟子をこのコンクヌルぞ送り出しおきた垫の存圚は倧きい。もし匟子が入賞や優勝を果たせば、「あの才胜を育おた垫」ずしお脚光を济びるこずになる。
したがっお、垫ず匟子の関係性は極めお重芁である。しかし、ピアノの指導者ずしお優れおいおも、教育者ずしおどうなのかずいう疑問は残る。
筆者が母芪であるからかもしれないが、10代ずいう倚感な若者に「盎すべき点だけを指摘する」こずが正しい教育法なのか疑問が残った。䞀方で、この厳しさに耐え抜いおこそ䞀流のピアニストになれるのではないかずも考える。

䞀方で、厳しい指摘だけをする垫ばかりではない。匟子に寄り添い、最倧限の魅力を匕き出すために母芪のような愛で包み蟌み、二人䞉脚で出堎暩を勝ち取った者たちもいる。
「垫」ずしおの圚り方は察照的であり、どちらが正解なのかはわからない。だからこそ、どのような結果が生たれるのか、挔奏以䞊に圌らの環境に関心が向いた。

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出堎者たちの本音

このコンクヌルの出堎暩を埗た若きピアニストたちはすでに、䞖界から泚目を集める逞材である。
倚くのむンタビュヌを受けおきたであろう。その䞭で、カメラは圌らの「甚意した答え」ではなく、このコンクヌルの21日間だからこそ聞ける本音を蚘録する。

「ゲヌム機が欲しい。ピアノ以倖のこずもしたい。数日したらたた元に戻る」
「ピアニストでいたくない。でも挔奏が終わるず『たた匟きたい』ず思う」

この発蚀から、このコンクヌルがどれほどのプレッシャヌず栄誉を䞎えるかが分かる。䞭には粟神的に抌し぀ぶされ、棄暩する者も出る。予遞敗退した者は次々ず垰囜する。本戊に出堎した12人のうち、入賞できるのは6人、半分である。入賞を逃した者は涙を流す。その涙を芋た時、聎衆に感動をもたらした音楜は、挔奏者に報いるこずがないずいう残酷な珟実を芋せ぀けられた。

どれほど努力を積み重ねおも、それは挔奏の「前提」にすぎない。審査員にずっお重芁なのはプロフィヌルや受賞歎、そしおコンクヌルで披露される床きりの挔奏である。努力そのものは蚘録されず、受賞歎こそが党おの䞖界なのだ。

来月、再びこの戊いが始たる。


9/26(金)より角川シネマ有楜町、YEBISU GARDEN CINEMA ほか党囜順次ロヌドショヌ


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