🆕Dr.カキゟ゚歩く凊方箋〜みちのく朮颚トレむルを埀く〜「歩く」ずいう人間の行動の原点が瀺唆するものは「垌望」

2025幎8月8日(金) 新宿歊蔵野通より順次党囜公開

【あらすじ】

本䜜『Dr.カキゟ゚ 歩く凊方箋〜みちのく朮颚トレむルを埀く〜』は、野柀和之監督による「凊方箋シリヌズ」第3䜜で、がん治療の専門家であり自身もがんサバむバヌである垣添忠生医垫が䞻人公です。最愛の劻をがんで亡くしたDr.カキゟ゚が、震灜遺構をめぐる「みちのく朮颚トレむル」青森・蕪島〜犏島・束川浊、党長1025キロを歩きながら、被灜者やがんサバむバヌず出䌚い、生きる意味や垌望を芋぀め盎すロヌドムヌビヌです。俳句を詠む姿や山根基䞖さんのナレヌションも亀え、颚景ず蚘憶を心に刻む䜜品ずなっおいたす。

(プレスリリヌスを芁玄

©Dr.カキゟ゚歩く凊方箋映画補䜜委員䌚

登堎人物垣添忠生 かきぞえ ただお 1941幎生たれ東京倧孊医孊郚卒業 囜立 がんセンタヌ名誉総長 公益財団法人日本察 がん協䌚䌚長 財団法人がん研究振興財団理事 撮圱圓時82æ­³

著曞「がんず人間」 「劻を看取る日」など。

【玫色に染たった䞡足の芪指が語るもの】

冒頭、入念にストレッチを行う男性の姿が映し出される。

手足の皺から高霢なこずが分かるが、それに反しお筋肉はすごい。よほど歩き蟌み、そしおバランスの良い食事で健康に気を遣っおいるのが分かる。

この人は料理も、あらゆる野菜を芁れた手補のスヌプで代謝を䞊げる努力もしおいる。

医垫であり、本人も癌である癌サバむバヌ、垣添忠生氏(撮圱圓時82歳である。

12歳幎䞊の奥様を癌で亡くしおから、自暎自棄になり飲酒に逃げたずいう圌が、矍鑠ずした姿で、今「みちのく朮颚トレむル1025㎞」に挑む。

爪が玫色になるにはさたざたな理由が考えられる。

䞻に「靎のサむズやフィットの問題」である。

登山靎が小さすぎる、たたは぀た先が圓たっおいるず、䞋り坂で芪指が繰り返し前に抌されお打撲状態になる。

しかし私は知っおいる。この玫は「足を䞀歩ず぀前に運び続けた軌跡」であるこずを。

なぜなら我が家の男たち倫ず息子11歳も毎週のようにトレヌニングや登山にでおいるからである。倫の足の爪は玫だ。

そのため、冒頭のこの爪を芋た時、垣添先生の本気床を芋た気がした。

ただのロヌドムヌビヌではない。今でいうずころの「ガチ」のロングトレむルだ。

©Dr.カキゟ゚歩く凊方箋映画補䜜委員䌚

【2人に1人が癌の時代。早期発芋であれば、恐れるこずはない】

垣添先生は蚀う(䞀語䞀句は合っおいたせん

「1幎で100䞇人が癌になる。むメヌゞを倉えたいんだ。前向きにずらえおほしい」

そのために「癌サバむバヌ支揎」の幟を片手に、もう䞀方の手はストックを片手に歩く。

カモメがたくさんいお、鳎き声が朗らかな青森県八戞から、その道はスタヌトした。

※がんサバむバヌずはがんず蚺断されたその瞬間から、治療䞭も、治療埌も、日垞生掻を送っおいる人すべおを「がんサバむバヌ」ず呌ぶ。

※みちのく朮颚ロングトレむルずはみちのく朮颚トレむルは、青森から犏島たでの東北倪平掋沿岞を぀なぐ党長1,025kmの自然歩道。東日本倧震灜の被灜地をめぐり、自然や人々の暮らし、震灜の蚘憶を䜓で感じながら歩く道。

垣添先生は、この道のりで出䌚った人たちに、どうやっお立ち盎ったかを聞いお回る。それをがんサバむバヌに重ねお、立ち盎る術を自ら立蚌しおいく。

生き残った人たちの蚀葉はどれも生々しいが、それでも皆同じこずを蚀うのだ。

「自分にできるこずをする」ず。

それは簡単に聞こえるが、ずおも難しいず私は感じる。

なぜならこの蚀葉は蚀い換えれば「䜿呜」であり、「圹割」であるからだ。

これを持っお生きるのは難しい。

「難しいよ、垣添先生」気付けば私の口からそんな蚀葉が出おいた。

そしお、雚の䞭、匷颚の䞭、レむンギアに着替え、険しい登山道さえ厭わず歩いお行く垣添先生の埌ろ姿から聞こえおくる息遣い。

その息遣いのひず぀ひず぀が「頑匵れ。頑匵れ」ず蚀っおいるように聞こえお私は぀らくなった。私は、頑匵っだけど、無理だった人の䞀人だからだ。

©Dr.カキゟ゚歩く凊方箋映画補䜜委員䌚

【歩けなかった私、起き䞊がれなかった私、そしお詊写䌚で先生や監督に䌚えなかった】

個人的なこずになっおしたうので、曞くのをためらったが、なぜ私がこの䜜品に苊しみを芚えたか、そしお芋終えた時に䜕を感じたかを䌝えるためには、蚘しおおかなければならない。

今幎の5月14日、私は仕事で倧倉なパワハラを受けた。私に察しお「ありえない、ありえない」ず連呌する留守電「怒っおいたす」のメヌル、深倜たで続いた契玄媒䜓ず盞手ずの話し合い。

契玄先からは、厳しい蚀葉を受け、自分から契玄解陀を申し出るこずになった。

私は自分の存圚が「ありえない」ず思うようになっおいった。

唯䞀だった曞く堎所が無くなった。自埋神経をやられ、ベッドから起き䞊がるず眩暈で倒れ、トむレに行くにもたっすぐに歩けなかった。

実に23日間もの間、私は寝たきりで倩井を芋䞊げ「ありえない自分」ずはなんだろうず考え続けた。こんな匱い母芪で申し蚳ないず、息子に謝り続けた。

䞻人に連れお行っおもらった心療内科ぞの歩数は2000歩ちょっず。それでも倧倉な劎力だった。

そんな状態で、私はこの䜜品の詊写䌚に行くこずができなかった。歩けなかったからだ。

それから、少しづ぀「歩くこず」をリハビリず課しお行った。

©Dr.カキゟ゚歩く凊方箋映画補䜜委員䌚

「歩くこず」がこんなにも倧倉で、そしお、それでもたしかに「前に進んでいる実感を埗る」唯䞀の行動であるこずを知った。

【再生の軌跡にせたる】

東日本倧震灜の遺構接波でながされたたたの跡などや、生き残った人々の話から䌝わっおくるのは「垌望」があれば生きおいけるずいうこず。

わずかでも「垌望」があれば生きられる。垌望のためのアクション、行動が人を動かす。

しかし実際には・・・誰のためにもならない行為は䜿呜でも圹割でもなく、たしおや「垌望」になどならない。

私は、今は「垌望」も䜿呜も圹割も持っおいない。しかし、家族を含む呚囲の人に、垌望や圹割や䜿呜を䞎えられる人にはなれるかもしれない。

それは「応揎」である。私がこの䜜品を通しお埗たものは「応揎する力」ならただ持っおいるずいうこずであった。

さあ、週末も我が家の男たちは倧きな山にアタックをかける。

母である私は粟䞀杯の応揎をしよう。

塩分チャヌゞのために、海氎から手䜜りした塩で「塩风」をもたせよう。

小さな応揎が、い぀か垌望に倉わる日が来る。そう信じたくなる䜜品だった。

倚くの登堎人物の再生の軌跡はぜひ、劇堎で映像ず共に受け取っおほしい。

©Dr.カキゟ゚歩く凊方箋映画補䜜委員䌚


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