2020年、京都在住のALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性患者・林優里さん(当時51歳)が、自らの希望により医師2名に薬物を投与され、死亡しました。ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、筋肉を動かす神経(運動ニューロン)が障害を受けることで、手足やのど、舌などの筋肉が徐々に衰弱する病気です。「特定疾患」と認定される難病で、根本的な治療法はありません。この事件は世間にさまざまな論争を引き起こしました。特に、亡くなった林優里さんへの誹謗中傷はひどいものでした。もちろん、医師やマスコミへの非難も多くありました。この問題に、強い衝撃を受けた男性がいます。2016年「風は生きよという」というドキュメンタリーを制作した監督の宍戸大裕(ししどだいすけ)さんです。
※メモからの書き起こしの為、一語一句は合致しません。

「風は生きよという」は人口呼吸器を使いながら地域で生活する人を爽やかに描いたドキュメンタリーです。しかし林優里さんの事件で、「実際には(人工呼吸器を付けた人が)周囲から心無い言葉で傷つけられているということを見せつけられた」と語りました。そしてこう言いました。
「それまで出会って一緒に過ごしてきた障害のある方、特に人工呼吸器を使っているALS の方に対する僕の思いと、コメント欄に寄せられるひどい言葉が全く乖離していたことが衝撃でした。この溝を埋めたいというのが『杳かなる』制作の動機です」
映画「杳かなる(はるかなる)」映画「杳かなる(はるかなる)」の公式サイトです。進行により全身付随にいたる難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)。喪失と絶望のたharukanaru.com

言葉で苦しみやつらさを表現する人が必要
「ではどうすれば、その温度差が縮まるかということを考えた時、苦しみの渦中にいる人が、自分の言葉や姿でALSをの現状を伝えるのが一番良いのではないかと期待しました」そして今回の作品「杳かなる」の主要人物である佐藤裕美さんにお願いしたそうです。
「苦しい時、人は誰かに取材されたいなんて普通は思わないものですよね。表にも出たくないし、誰とも話したくないという思いがあって当然だと思います」
裕美さんの場合もそうでした。病気が進行し、人工呼吸器をつけるかどうかという選択を迫られている状況を興味本意で見られることが精神的につらくなりました。
そんな彼女を見ていた監督は「今までのことは全部なかったことにしてください」
と言われても仕方ないと思う時期があったそうです。
しかし、監督は待ちました。黙って寄り添い、裕美さんの気持ちが落ち着くのを見守っていたのではないかと思います。なぜなら、ドキュメンタリーには台本がありませんから、どのような事態になっても、ありのままを撮り続ける、その覚悟がなければ作品を生み出すことはできないからです。
一人に届ける映画にしたい
監督が常に出演者と話し合い、絆を深めて撮影に臨んだ期間は3年半に及びました。
「10 人中、10人がこの作品を見てALSという難病が分かるかというと、そんなことではない。理解してくれる人は10 人に 1 人、あるいは 100 人に 1 人でもいいんです」
この作品にはナレーションによる説明は多くはありませんでした。3 年半の記録を見た人それぞれが、自身の体験や周囲への思いに結びつけて感じてもらえば充分だと監督は思っているそうです。
「だからこそ、毎回皆さんがどんなふうに受け取られているのか、正直不安になります。声をかけてくれる方の中にはご自身の経験や、 ALSの方と知り合って今どうしていいか分からないという悩みを吐露される方もいます。この映画を通して関わり方を変えてみようと思った、まず悩む前にあの人に声かけてみようと思った、というような感想を頂くと、本望だと感じます」
欲を出さずに伝える
筆者は思います。映像でも文章でも「伝える」仕事をしていると、つい欲が出るのです。「多くの人にこの事実を知ってほしい、もっと生きやすい世の中にするために、視聴者や読者を動かせる作品(記事)にしたい」と。
しかし、悲しいかな、それは無理なのです。全員に理解を求めることは不可能です。もし可能であれば、この世に戦争は起きません。皆、考えが違って当たり前ですが、少しでもより良い方向に行けるように、アシストするのが(映像)作家なのです。作家は欲張ってはいけない、エピソードを削って削って最後に残ったのが作品のテーマであり、それだけを追えばよいのだと思います。裕美さんに寄り添い、撮影の目途が立たなくなった時も、欲を出さなかった宍戸監督。その「一人に届ける映画」という思いは、結果的により多くの人に届く結果となりました。これからどんどん地方上映が始まります。詳しくはこちらをご覧ください。
次回は作品の考察記事をお届けします。考察とは「感想と提案」であるという当たり前の壁にぶつかり、執筆が滞っていましたが、少しずつ輪郭が見えてきました。宜しければ次回の記事もご一読ください。
ちなみに寺尾紗穂さんの歌う主題歌が素晴らしいです。エンディングで鼻の奥がツーンとしてこみ上げてくる感情がなんだったのか、考えながら劇場をあとにしたのでした。
文・栗秋美穂