「夢みる校長先生」本物登場!西郷孝彦先生トークショーレポ

日本の教育の現在地と未来への課題:西郷孝彦先生の言葉を通して

2025年3月15日、ドキュメンタリー映画「夢みる校長先生」(オオタヴィン監督)の上映会が都内で行われました。
上映前には、世田谷区立桜丘中学校で校長を務めた西郷孝彦先生が、日本の教育の現状や理想の学校像について率直な思いを語りました。
この舞台挨拶の内容と、西郷先生の印象的なセリフを織り交ぜながら、日本の教育が抱える課題と未来への展望を探っていきます。
【プロフィール】西郷孝彦(さいごうたかひこ)1954年、横浜生まれ。
上智大学理工学部を卒業後、都内の養護学校を始め、大田区、品川区、世田谷区で数学と理科の教員、教頭を勤めたのち、2010年に世田谷区立桜丘中学校に就任する。2020年3月に退任。

大人もこどももありのままで(撮影:栗秋美穂)

校長の絶対的な権限:「校長が決めていいことを書いてある」

校長先生というのは、実際、どれくらいの力を持っているか、皆さんはご存じですか?
今回は世田谷区内で宿題もテストも校則もないという「ないない尽くし」の改革を起こした桜丘中学の元校長、西郷孝彦先生の貴重なお話をご紹介します。
力というよりも、学校教育法という法律があるんですが、その中に権限決定権者として校長が決めていいことが書いてある。その法律の範囲で校長が決められるということは結構たくさんあるということですね」と、西郷先生はまず最初に、学校運営における校長権限の根拠を示しました。
具体的な例をみてみましょう。
校則というものがありますよね。あれも決めていいのは校長なんです。いろんな学校にいろんな校則がありますけど、その校則があっていいよと決めてるのは校長なんです。校長が、いやいやダメだよ、校則なくしましょうって言ったら、なくなるんですよ
笑顔で呼びかける西郷先生に、来場者が深くうなづき、安心するような表情も見えました。
一方でこの言葉は、生徒の声が(校長まで)届きにくい校則問題の根源を示唆していると感じました。
西郷先生は校長を目指した理由を次のように説明しました。
校長にならないと自分の好きな学校を作れない。権限がない。早く校長になって自分の好き勝手に好きな学校を作ろう
一方で多くの学校で生徒の主体性が尊重されない現状について、原因を解説しました。例えば生徒会主催の行事を運営するにあたり、生徒会担当の先生に相談しても権限がないため実行に移せない現実を語りました。校長先生との交渉が不可欠なんです。驚きました。知らない人も多いのではないでしょうか。

生徒が作るルールの落とし穴:「作り始めちゃうと、どんどん増えていっちゃうんです」

生徒の意見を反映した民主的な学校運営の理想と現実について、「夢みる小学校」の事例を挙げました。
すると西郷先生は「子どもたちにルールを話し合って決めさせると、やたらたくさん作っちゃうんです」と指摘。
西郷先生が補足として詳しく話すのはこういうことです。
1 つルールを作ると、そのルールのためにまた 10 個ぐらいルールが必要になってくる。これはつまり、1つのルールを作ると、そのルールを維持するためにさらに多くのルールが必要になるということなんです。そのルールによって困る子も必ず出てくるっていうことを忘れないこと。
いくら話し合って決めたとしても、全員が納得した、全員に当てはまるルールというのは世の中にありません。だから、ルールが 1 つ生まれることで、困る子がいるなら、ルールはない方がいいっていう発想です
」と述べ、安易なルールづくりへの警鐘を鳴らしました。
筆者には小学校5年生の息子がいます。参観で学活を見ていた時の違和感を思い出しました。
それは「反対意見の時間」と「賛成意見の時間」が設けられていたことです。賛成と反対の意見を共に交わすと、どちらか一方が多く話したり、平等ではないから、それぞれの時間を設け、順番が来たら話すというルールです。するとまたここでルールがあるのです。
話す時間を公平にするために反対、賛成のそれぞれの持ち時間が決まっているんですね。
そこでまたルールなんです「その時間をひとりで使い切ってはいけないから代表して話す人数を決めよう」と、どんどん時間は過ぎていき、肝心な議題に到着しないのです。

西郷先生が勤務されていた桜丘中学校の「ルールを作ってはいけないというルールがある」というエピソードはまさに、安易にルールをつくることで、結果的に目的と手段が逆転してしまうことを避けるというテーマに裏打ちされていたのかと、腑に落ちました。

本来の学校の意義:「要は楽しいところって書いてある」

西郷先生は、本来の学校の意義について、こう語りました。
スコレー(学校)というギリシャ語があって、要は楽しいところと書いてある。余裕があって、いろんなことを学ぶ。そういうことは楽しい場所なんだという、そういう意味があるんです。そのとおりだと思いませんか」


本来、学びは楽しいものです。しかし現代の学校が安心できない、楽しくない場所になってしまったことについて、こう指摘されました。「日本の受験システムというのは、人と競争したり、人を蹴落としたりすること。決して楽しくない。本当はやりたいことがあっても、受験のために我慢を強いるようなこのシステム、最悪ですよ


筆者も同じ考えです。
母親同士の会話で「うちの子、やりたいことがなくて」と悩んでいる割に、やらなきゃいけないこと(勉強)ばかりを強いて、やりたいことを見つける暇を与えてないだけでは?と思ったことがあります。
また、会話の途中で「我が家は(子どもに)~をさせる」「うちは~をやらせない」という言葉を使う母親もいます。どこにも「子どもの意思が存在しない」ことに、筆者は驚いたことがあります。
西郷先生の話は、この国は従順な子どもを作りたいのだという持論へ発展していきました。
「権力者がいて、先生のいう事をハイハイと聞く。そういう子は1 時間に 1 本しか車が来ないのに赤信号で立って待ってる。そういう国民を作りたいわけです」と、日本の教育が抱える根深い問題を指摘しました。

校長という存在:「権限の裏には責任があるということですね」

校長に権限が集中していることの功罪について西郷先生はこう説明しました。
権限を持っているということは責任があるということです。 1 から 10 まで校長が決めてるわけではありません。教員に任せている部分がほとんどなんです。その教員、スタッフがいろんな創造的なことをすると、必ず失敗をしてしまう時があるんですね。その時はやはり権限を持っている校長がそのスタッフの代わりに責任を取ってあげますよっていう意味の権限です
独裁的に権限を行使するのではなく、教員たちに任せ、その失敗の責任を取るのも校長の仕事であると語りました。
西郷先生の言葉の数々は、日本の教育が抱える多岐にわたる課題を大胆に浮き彫りにしました。
「本来の学校は楽しいところ」であるという原点に立ち返ることの重要性を私たちに改めて教えてくれたように思います。

4月17日、本編考察記事がシネマライブラリ掲載されました。

文・栗秋美穂